おととい、日本で大きな地震があった。
その時ちょうどインターネットをしていて「東北で大地震」とニュースが出ていたけど、まあ日本だし、よくあることだし。と思って気に留めなかった。
友達のお兄さんから電話がかかってきて、でも中国語の早口で何言ってるか分からなかった。メール送ってもらって、彼は地震の事を伝えようとしてくれていたと知る。日本ではよくあること、とその時点でも気にも留めていなかった。 その後、YAHOOニュースで見る間に地震のニュースが増えていった。
その夜、テレビをつけて見た津波の様子。街が畑が人が見る間にのまれていく様子。
これ、日本?と頭に?マークがつく。
こんな大災害が本当に日本で起こってるのか。逃げてる人たちは日本人なのか…。 嘘みたいだ。
残念ながら、これが中国で起きていたり、ニュージーランドで起きていたりしたら、「外国で起こっている出来事、外国の人々」という意識が自分の中にはある。心配しながら心のどこかでは遠いところの出来事と思っていて、テレビで報道が少なくなれば忘れてしまうような出来事なんだろう。
でも、これは日本なのだ。 香川や京都にいたころとは違い、今外国にいるという意識から、東北・関東関係なく「日本」という単語を聞くだけでわが身の様に思えてくる。 ここで、私は四国人でもなく京都人でもなく「日本人」だから。
今、ミクシイ上で「ヤシマ大作戦」と題したコミュニティが注目されている。
元々は某アニメ上で実施されていた、日本総停電に備えた作戦だったそうだ。
今は、東北・関東地方で不足している分の電気を西日本から東日本へ送る為に、西日本の人たちが節電し、少しでも多くの電気を東日本へ送ろうという作戦として行われている。
日本にいることで、ちょっとでも出来ることがある。 私も、何かできることはないだろうか。と、思う。考えている。
それにしても、今回の地震で近くにいるという事の大事さを考えさせられた。 これが東日本大地震(と、さっきYAHOOニュースを見たら「東北地域大地震」から名称が変わっていた)だったから家族や友人が無事だったものの、地震が西日本を襲っていたらどうだったのだろう。
どうやって連絡を取るのだろう。
何ができるのだろう。
何も分からない。
何百キロと離れたここから、私に何ができると言うのか。
想像するだけで気が狂いそうだ。
怖い。
遠くに居ることのリスクって大きいなあ…。
さて、今日は友人の親戚の結婚式に参加してきた。 また詳しく後でうpしよう。
お姉さんきれいだった! お姉さんのお父さんがリンゴ作ってる人で、つくったリンゴも食べさせてもらった。
話を聞いていて半分くらいしか分からなかったけど、おじさんがいかにリンゴを大事に育ててるかっていう気持ちが伝わってきた。 みずみずしくて、今まで食べたリンゴの中でトップランクにおいしかった。
お姉さん側の親戚だけで100人近く集まっていて(これでも少ないって!)とっても賑やかな婚礼だった。
帰って来てテレビをつけて、1万人近く行方不明の日本の状況を再確認。
私に今できることって、テレビやネットを見てやきもきする事だけなんだよなあ。
そして、金曜日まで普通に生きていて、今はどこにいるか分からない人、もう亡くなってしまった人だっている。
高校の時、友達のおばあちゃんが亡くなって、生まれて初めて自分の近くにいる人を亡くした経験をした時。
その日の夕焼けを見ながら、おばあちゃんは今日のこの夕焼けを見られないんだなあと感じた。
そこで初めて人が死ぬ事を実感したように思う。
同じように、一昨日まで生きていた人たちが生きたかった今を、私は生きているんだよなあ。
じゃあその今を無駄にしないよう、ちゃんと生きよう。
ニュースやテレビを見るのも大事だけど、ちゃんと食べて、寝て、勉強して。
今やるべき事をやること。
それが私に今できる一番のことなんじゃないかなあ。
[0回]
PR